プロフィール

松岡翔太 SHOTA MATSUOKA

 
ニックネーム:マツ
生年月日:1989年9月22日(28歳)
血液型:AB型
出身地:熊本県
身長/体重:182cm75kg
利足/右、頭
座右の銘:みんなちがってってみんないい
食べ物:チョコレート、珈琲
 
 
ブログ歴
2009年8月〜2014年5月松岡翔太「進化の過程」
 
 
所属歴
託麻西小学校(1997-2002)
東部中学校(2002-2003)
菊陽中学校(2003-2005)
大津高校(2005-2008)
JAPANサッカーカレッジ(2008-2009)
アルビレックス新潟・シンガポール(2009-2011)
アグレッソ山口(2011-2012)
東京レキオスBS(2012-2016)
アヴェルダージ熊本BS(2017-)
 

サッカーとの出会い

サッカーとの出会い
小学4年の時、いつも一緒に遊んでいた兄の影響でサッカーを始める。
DFとして3年間プレー。

チームは県内ではそこそこ強かったが、個人は地域のトレセンにすら選出されず3年間を終える。
この頃から、将来の夢はサッカー選手になる事に固まった。
よくある卒業文集的なのには、サッカー選手を通り越して「サッカーになる」と意味分からない事を書いていた。

中学校時代

中学時代

地元の東部中学校に入学。これまたGKをしていた兄に憧れてGKにポジション変更。
1年間をGKで過ごす事になるが、引っ越しによる転校先(菊陽中学校)をキッカケに再びDFでプレー再開。
この頃から毎日欠かさずボールだけは蹴っていた。しかしレギュラーを獲得するには至らず3年間過ごす。

高校時代

高校時代

全国でも有名なサッカー強豪校である大津高校に入学。
「年中夢求」「24時間をデザインする」をモットーに、3年間365日24時間サッカー漬けの毎日を送る。
県内はもちろん、全国的にも活躍していた選手達とプレーする事になり、これまで以上に努力を重ねなきゃいけないということで、早朝は6時前から朝練。部活が終わってもトレーニングを重ねた。
「無駄にグランドに残る奴」と言われるようになるも、いつか報われると思いトレーニングを続けたが、
1年時→Bチーム。
2年時→Bチーム。
3年時→BチームとAチームの行き来。
と結局トップチームでの公式戦出場を迎える事なく3年間を終える。
試合に出場する事はなかったが、中学校ですらあまり試合に出れなかった自分でも沢山のチャンスももらえたし(チャンスは活かせなかったが・・)、格上だと思っていたライバル(同級生)と同等にプレー出来た経験を得られ、また3年間一緒に戦った仲間というかけがえのない財産ができ、今でもこの3年間が自身の土台となっている。
 

JAPANサッカーカレッジへ

日の目を見る事なく、高校を卒業する事になるが、それでもサッカーの夢を諦め切る事が出来ず、半ば半信半疑で日本初のサッカーの専門学校へ入学。

サッカーの為の、身体学、精神面、栄養学などを中心に座学をこなしながら毎日トレーニング。
2年時と3年時はシンガポールへのサッカー留学制度を使い、アルビレックス新潟・シンガポールへ。

シンガポール時代

アルビレックス新潟・シンガポール

初の海外で、初のプロリーグへの参戦。
計2年間のシンガポール生活で沢山の人との出会いに恵まれ、経済的にも大きく成長真っ只中のこの国の全てが新しい事ばかりでサッカーはもちろん生きていく上でのこれまでの価値観が大きく変わった。
クラブでも左右曲折はあったが、幸運な事に多くの試合に出場する事ができ、緊張感がある中での実践や心の持ちようなどの経験を積んだ。
観客の中でプレー出来る喜び、多国籍国家の中で様々な国の人とサッカーを通じて繋がれる素晴らしさを体感。
マレーシアやタイ、ブルネイなど近隣諸国へ行く事で、サッカーをしていないと得られないであろう経験を得る事も出来た。
さらに人生の目標となる人物との出会いもあり、現在でもその人を追っている最中。
 

単身タイ王国へトライアウト

2年間のシンガポールリーグへの挑戦が終わり、海外への免疫もついた所で他のリーグに挑戦したいという気持ちと共に、タイリーグのプロテストにチャレンジ。
 様々な人にサポートしてもらいながら単身タイに乗り込み、言葉も通じない中で1ヶ月戦うも契約には至らず一時帰国。
この先どのような行動に出るか考えながら時を過ごす。
 

ビーチサッカーへ転向

ビーチサッカーへ転向

海外へ再挑戦する為に、日本でお金を貯めながら身体を動かしたいと考えていた時に、先輩からビーチトレーニングの重要性を説いてもらい、これはサッカーに還元出来る。と思いビーチサッカーを取り入れた事が始まり。
いつの間にかこの競技自体が好きになっていて、少ないながらお金も貰いプレー出来るとのことでビーチサッカーに転向する事を決意。
アグレッソ山口で、ビーチサッカー選手の生活をスタート。
 

アグレッソ山口時代

アグレッソ山口

アルバイトを掛け持ちしながら競技生活を送る。
早朝にコンビニでバイト→トレーニング→お寿司屋でバイト。という流れの毎日。
沢山のサポートのおかげもありその年の全国大会で3位の成績を収める。
サッカーをやっている時から考えていた、引退後の生活を見据えた時のアクションを起こしていかなければと考え、沢山の方の協力を経て「EVOLE Sports project」という事業を起こす。
基本的にはスポーツに特化したウェアやイベント、スクール等をメインに手探りしながら少しずつ基盤に乗せていく。
 

東京レキオスBS時代

東京レキオスBSへ

アグレッソ山口1年目にして、トップチームが事実上の解散という事態に出くわし路頭に迷っていた所、たまたま東京に来ていた時に、たまたま日本を代表するビーチサッカーチームである東京レキオスBSのトレーニングに参加出来る事に。
その時のプレーを買ってもらい、拾ってもらう形で東京レキオスBSに入団。
5年間に2度の全国制覇を経験。
本当に沢山の方が協力してくれて、そして手を差し伸べて下さった事は今でも忘れない。
その後、このチームでプレーをさせてもらうと同時に個人で起こしていた事業であるEVOLE Sports projectを会社組織に変更。「エボレジャパン株式会社」を設立。
 
 
 

アヴェルダージ熊本BSへ

2017年3月より5年間お世話になった東京レキオスBSを退団し、地元でもある熊本を拠点におくアヴェルダージ熊本BSに加入。
上記にも書いたアグレッソ山口時代に一緒に戦った先輩や、高校3年間を共にした同級生もいる馴染みの多いこのチームでもう一度日本一を獲得する為に日々奮闘中。
またお世話になっている方々や地元の仲間や家族、本当に色んな方に助けてもらいながらビーチサッカーの選手活動と並行して会社も上り調子で経営出来ています。
「スポーツで繋がりの輪を」という企業理念のもと、スポーツを通じて人と人を繋げ、幸せを共有輪で素敵な毎日です。
 

これから

将来に向けて、目標や計画、見据えている事に向けて進んでいきながらも「今」を最も大事に活動中です。
今の連続が将来を創り、今幸せで楽しく過ごしていく事が未来を明るくすると思って生きています。
1番大事にしている事は「人と人の繋がり」です。
自分を応援してくれている人、お世話になっている人、これから繋がる沢山の人を楽しませ、笑顔にさせる事が出来るような行動や言動を取っていきたいと思っています。
 
 
以上。ざっくりですがこれまでの進化の過程です!
ここからさらに進化していきます!
 
 
 
【2016年掲載情報】
 
スポーツにまつわる様々なトピックスやストーリーを伝えるコラムサイトThe BORDERLESS(ザ・ボーダレス)に、ボクの半生を余す事なく書いてもらいました。

こちらも合わせてどうぞ!

 

ビーチサッカー選手と会社経営者。二足のわらじを履き活躍する松岡翔太に迫る。(前編)

http://theborderless.jp/2029/

 

人生の宝は「人とのつながり」。ビーチサッカーと会社経営の2軸で夢を追い続けたい。(後編)

http://theborderless.jp/2079/